どうも、だいちーです。
「将来の目標が思い浮かばない」
「自分が本当にやりたいことが見つからない」
「やりたい仕事がわからない」
こういう悩みって良く耳にします。
僕も学生時代から20代半ばまで同じようなことを常に考えては、答えが出ずにイライラしたり、焦ったり、自分はダメな人間なのかも・・・なんて悩んでいました。
でも、最近この問題に対する、僕の中で現時点での結論が出たので、参考になるかどうかはわかりませんが記事にしました。
「好きなこと」×「失敗するかもしれないこと」=「本当にやりたいこと」

結論から言うと
【好きなこと】×【失敗するかもしれないこと】=【本当にやりたいこと】
以上になります。
ポイントは【失敗するかもしれないこと】であって【失敗してもいいこと】ではない点です。
なぜなら人はそんなに簡単に「失敗してもいい」という境地には至れないからです。
しかも、「失敗してもいい」という状態には緊張感が全くありません。
これではいずれ退屈してしまい、せっかくの好きなことが好きではなくなる可能性もあります。
そこで、【失敗してもいいこと】ではなく、【失敗するかもしれないこと】という多少のリスクを覚悟した心構えの方が適切だと僕は思います。
「やりたいことが見つからない」の本当の意味
おそらく僕が思うに、「やりたいことが見つからない」っていうのは言葉として適切ではないのだと思います。
では、どう言い換えることが出来るかというと
「【自分の好きなことで、かつ望むような成功が得られること】が見つからない」
こういうことではないでしょうか?
つまり、「やりたいこと」という短い文の中に
①【好きなこと】
かつ、
②【成功できること】
というめちゃくちゃハードルの高い願望が含まれているのではないかと思うのです。

【成功できること】というフィルター

【好きなこと】だけならほとんどの人が最低でも1個は思い浮かぶでしょう。
- 休日にやっていること
- ついインターネットで調べてしまうこと
- よくお金を使うこと
- やっていて時間を忘れてしまうこと
- 人から頼まれなくても自分の意志でやっていること
このように【好きなこと】だけなら次から次に思い浮かぶのではないでしょうか?
しかし、ここに【成功できること】というフィルターを無意識にかけてしまうことで
あなたの「やりたいこと」が濃い霧にかかったように見えなくなってしまうのです。

【好きなこと】に【成功できること】を掛け算してしまうことで、あなたの「やりたいこと」が何も思い浮かばないのです。
逆に言えば【失敗するかもしれないこと】を掛けることを受け入れれば「やりたいこと」は見つかるはずです。
では、なぜ僕たちはその【好きなこと】×【失敗するかもしれないこと】の公式を描けないのでしょうか?
【失敗するかもしれないこと】の恐怖

人は【時間】や【お金】や【労力】を掛けたことが無駄になることを避けたがります。
これを心理学の言葉で「サンクコスト効果」と呼びます。
「やりたいことが見つからない」という言葉にもこのサンクコスト効果の心理が働いているのです。
つまり、【好きなこと】はハッキリしているけれど、その好きなことをやって失敗してしまったら、
それまでに注ぎ込んだ【時間】【お金】【労力】(【自信】【プライド】【自尊心】など精神的なものも含めて)などが失われるかもしれません。
これはほとんどの人にとってはとても恐ろしいことで、できれば避けたいことです。
そのため「やりたいこと」に【好きなこと】だけでなく【成功すること(失敗しないこと)】という無茶な条件を無意識に付け加えてしまっているのです。
まとめ
- 結論:「好きなこと」×「失敗するかもしれないこと」=「本当にやりたいこと」
- 「やりたいことが見つからない」の本当の意味は「【自分の好きなことで、望むような成功が得られること】が見つからない」である
- せっかくの【好きなこと】に【成功できること】というフィルターを掛けてしまうことで「やりたいこと」が見えなくなる
- 人は「失敗すること」を極端に恐れてしまう
「好き」を仕事にするオススメ書籍