あまり期待せず、ふらっと映画館により観てみたのだが、
「正直、映画館で観るんじゃなかった!!」と、思ってしまった。
いや、作品自体はとても素晴らしかった。
この作品に出会えたことはとても幸運だったとも思う。
でも、映画館での、観客全員の終始重苦しい空気をビンビンに感じながら、めっちゃ重たいテーマで登場人物全員が不幸になっていく話を2時間観てるのが、ただただしんどかった。
逆に言えば、それぐらい丁寧に作り込まれ、現実よりもリアルで、俳優陣の演技も素晴らしい非の打ちどころのない映画だったと思う。
こういう群像劇で描かれた人間ドラマをテーマにした作品が凄く好きで、
『桐島、部活やめるってよ』とか、『アイネクライネナハトムジーク』とか好きな自分にはたまらない作品だった。(ただし、比べ物にならないくらいこの作品のテーマは重たいので注意)
それにしても、この映画は免許センターで違反者講習の教材に流しても良いレベルで、いつ加害者になってもおかしくない交通事故の恐怖を身近に感じた。
あらすじ
全てのはじまりは、よくあるティーンの万引き未遂事件。スーパーの化粧品売り場で万引き現場を店主に見られ逃走した女子中学生、彼女は国道に出た途端、乗用車とトラックに轢かれ死亡してしまった。 女子中学生の父親は「娘が万引きをするわけがない」と信じ、疑念をエスカレートさせ、事故に関わった人々を追い詰める。一方、事故のきっかけを作ったスーパーの店主、車ではねた女性ドライバーは、父親の圧力にも増して、加熱するワイドショー報道によって、混乱と自己否定に追い込まれていく。 真相はどこにあるのかー?少女の母親、学校の担任や父親の職場も巻き込んで、この事件に関わる人々の疑念を増幅させ、事態は思いもよらない結末へと展開することにー。
Filmarks映画:https://filmarks.com/movies/89585
作品名『空白』の意味
娘を失った父母を始め、交通事故の当事者のみならず周囲の人々を巻き込み、これまでの平穏な日常が一瞬で崩れ去ってしまっている。
女子中学生に起きた交通事故によって、みんなが大切なものを失っている。
大切なものを失い、これまでの日常を失った人たちの心に大きく空いた空白という意味でこのタイトルなのだと思う。
※ 以下ネタバレ
また、映画のラストシーンで亡くなった女子中学生が描いた「空に浮かぶイルカの形をした白い雲」の油絵が登場する。
後述するけど、この絵が非常に大きな意味を持っていてタイトルの意味はここから取っているとも考えられる。
被害者と加害者
この映画の主要人物たちに完全な加害者と呼べる人物は存在せず、全員が被害者だ。
むしろ、主要人物以外、交通事故とは直接は関係ない
- 事なかれ主義の学校教員
- 偏向報道で煽り立てるマスコミ
- 嫌がらせ迷惑行為を行う一般市民
- インターネットで誹謗中傷する人たち
彼らこそが本当の意味で無自覚な加害者となってしまっている。
ここからは余談だが、事なかれ主義を貫き、問題と向き合おうとしない学校教員。(結果、イジメでは無かったが)
亡くなった女子中学生の担任は事故前は女子中学生の作業が遅いことなどに対し、
「やる気がない。主体性がない。」と責めるような立場だったが、
事故後、「彼女なりに努力していたのではないか?」と気持ちの変容が描かれている。
それに対して自らの保身に徹して生徒を理解することを放棄している校長(教頭?)、部活の顧問。
これが本当に腹立つ、現実で起きているイジメ問題などもこういった教師の対応が原因であると僕は思っている。
2人に残された救い
青柳:スーパー店長(松坂桃李)
店を閉めたあと、交通誘導員をしている青柳に気付き、元常連の男が青柳に声を掛ける。
彼は母がよく『スーパーあおやぎ』の焼き鳥弁当を買ってきてくれたと話し、
「美味しかったからまた食べたい。またそのうち弁当屋でも始めてよ。」
と、青柳に声を掛ける。
それを聞いてむせび泣く青柳。
このシーンで「名前も知らない他人からの何気ない言葉で傷つけられた青柳が、同じような名前も知らない他人の言葉で救われた。」
ということが分かるシーンで本当に良かった。
添田:亡くなった中学生の父(古田新太)
映画の終盤で添田は娘が生きていた頃に描いていた油絵を始め、読んでいた漫画を読み、娘を理解しようと前に進み始める。
それと同時に青柳を赦したいという気持ちが芽生え始め、彼の話に耳を傾け始める。
そして、物語ラストで担任教師が学校に残っていた娘の描いた油絵を添田へ届ける。
何枚かある油絵を見ていくと、そこには、「青い空に浮かぶイルカの形をした白い雲」を描いた絵があった。
驚くことに、添田も油絵を描き始めてから、まったく同じ構図で絵を描いていた。
それはおそらく父娘が過去に一緒に見た景色なのだろう。
僅かでも繋がっていた父娘の絆を表現したラストにもうグッときてしまった。
最後の最後にほんのちょっとだけ残された救い、このシーンに僕もほんの少しだけ安堵した気持ちでエンドロールを迎えることが出来た。
まとめ:誰もがいずれかの登場人物になり得てしまう。
この映画に出てくる人物はいたって普通に生活していた人たちだ。
つまり、僕やあなたや、あなたの友人・家族と同じようなどこにでもいる平凡な人たちである。
たった1つの交通事故によって、それぞれの人生がガラっと変わってしまい、人間の脆い部分、醜い部分が表面化し、相手を傷つけ、自分も傷つくという負のスパイラルを築いてしまう。
この映画で起こった出来事は現実にいつ起きてもおかしくないこと、むしろ、今この瞬間に全国のどこかで起こり得ているぐらい身近な落とし穴である。
今ふつうに生活している誰にでもいずれかの登場人物のような不幸が身に降りかかり、作中と同じような結末になってもおかしくないというリアルな恐怖を感じられる映画だった。
興味ある方は、ぜひ覚悟を持って劇場に足を運んでみて下さい。