2020年11月21日フジテレビで放送された「まつもtoなかい~マッチングな夜~」というダウンタウンの松本人志さんと元SMAPの中居正広さんがMCを務める豪華な特別番組に、僕が中学生の頃から憧れ続けている甲本ヒロトさんが俳優の菅田将暉さんとの対談のためゲスト出演した。
この2人の組み合わせは数年前に菅田将暉さん主演のドラマ『3年A組 ―今から皆さんは、人質です―』でザ・クロマニヨンズの「生きる」が主題歌に使われてたことや、菅田さんがヒロトから多大な影響を受けているとも公言しているからだろう。 (以下敬称略)
甲本ヒロトは1980年代から、
主にTHE BLUE HEARTS⇒THE HIGH LOWS⇒ザ・クロマニヨンズ
と、バンドを変えて現在も活動を続けている。
番組の中でMCの中居からヒロトへ「今のバンドを見て思うことは?」と質問。
この質問にヒロトは「若い人はみんないいと思う」とした上で、アナログ世代とデジタル世代の違いで1箇所感じることについてこう語った。
「歌詞を聴きすぎ。若い人は。」
「歌詞を、文字を追い過ぎている気がちょっとだけする。ちょっとよ(笑)」
最後の「ちょっとよ(笑)」が最高にヒロトらしい。
他人への配慮が感じられる優しい言葉だ。
この「歌詞を聴き過ぎ。」について思ったことをこれから書いてみたい。
言葉に救われたい
これを聞いて僕が思ったのは、今の若い人たちが曲を聴く時に歌詞を追い過ぎてしまうのは、多分、「言葉に救われたいから」なんじゃないかなと思う。
自分の好きなアーティスト、ミュージシャンの言葉や歌詞に共感したい。
自分の人生に歌詞を重ね合わせて救われたい。自分を肯定したい。
こんな気持ちがあるんじゃないかな。
僕自身、中学校でTHE BLUE HEARTSに出会ってから、メロディに衝撃を受けたのはもちろんなんだけど、やっぱりヒロトやマーシーの綴る歌詞や言葉に救われ続けてきた。
人間関係で起こる辛いことや、自分に対する苛立ちや焦り、普段の生活で感じるモヤモヤした感情なんかをヒロトやマーシーの歌詞で常に切り抜けてきた。
ブルーハーツ解散後、ハイロウズになってからヒロトもマーシーも一見意味の無いような歌詞を作るようになった。クロマニヨンズになってからは更にだ。
もしかしたら、番組でヒロトが語ったように意識して歌詞に意味を乗せていないのかもしれない。
それでも新曲が出るたびに、曲を聴いて、何らかの意味を求めるように歌詞を眺めて
「どんなことを歌った曲なんだろう」
「どんな意味が込められた曲なんだろう」
と考えに耽ってしまう。
もちろんメロディを聴くだけで気分がハイになったり、じーんと感動したり、思い出が浮かび上がったりすることもある。
でも、やっぱり曲を聴きながら歌詞の意味を考えたり、歌詞を自分に照らし合わせたりして曲を聴いている。
それだけ、ヒロト、マーシーの発する言葉や歌詞には人が生きていくのに必要なシンプルで本質的なメッセージが込められていると思っている。
「ぼんやり」では不安
番組ではヒロトに続いてMCの松本も、
「今の全てにおいてですけど、完成され過ぎている」
と不満をこぼした。
それに対して更にヒロトが、
「ぼんやりしていない。ぼんやりしているとどこにピントを合わせるか、自分で決められる。」
と語っていた。
僕は今30代。世間では若い世代やデジタル世代と呼ばれる側から、この「ぼんやり」に対して思うのは、自身を含めて今の若い世代は
正解を与えられることが当たり前
になっているんだと思う。
ヒロトが言う「ぼんやり」したものや、答えが無いことに対して不安を強く感じてしまう。
それは自分の将来だとか、自分らしい生き方とか、他人以上だけど友人未満のような人間関係だとか。
そういったはっきりしないものに対して、自信や方向性が持てず不安を感じる。
だから、「正解が決まっているもの」や「明確なもの」「はっきりしているもの」を欲してしまう。
そして、普段の生活の中でも「正解」とか「効率」といった言葉に振り回されて疲弊している。
だからどうしようとかは今は分からない、それこそ「ぼんやり」としているのだけれども。
なんか暗くなってしまったけれども、地上波にあまり出ないヒロトが、トークがメインの番組に出演してくれただけで最高でした!w