どうも、だいちーです。
今回は数年前に読んで、今現在の僕自身の考え方にも多大な影響を及ぼした一冊、『嫌われる勇気』の続編、『幸せになる勇気』を読んだ感想を記事にしました。
前作『嫌われる勇気』を読んだときは、本当に衝撃的でした。
読んだ後しばらくは脳内をジャックされたまま、本に書かれている言葉を飲み込むのにかなりの時間が掛かりました。
『幸せになる勇気』も負けず劣らずの名著だと、自信を持って!声を大にして!叫びたいです。
今回は『幸せになる勇気』を読んで、僕が印象に残った部分を整理してみました。
自立とは、自分の価値を自分で決めること
『幸せになる勇気』で語られるテーマの一つに「自立」があります。
アドラー心理学が教育の中で「褒めても叱ってもダメ」としているのは、褒めることや叱ることは条件付きの承認であるからです。
褒めることもいけないのは、子供が大人から褒められるようなことをするのは承認されたいからです。
しかし、それは「良いこと」をしているわけでは無く、「褒められること」をしているに過ぎないと哲人は言います。
そして、承認欲求には終わりがありません。人からの承認がないと幸せを実感できないのは、単なる依存状態でしかないのです。
本当の自立とは自分で自分の価値を決めること。
自分で自分の価値を決めることとは、
「自分が平凡であること」「その他大勢の中の一人に過ぎない」のだということを受け入れることです。
そんなことは不可能だ!という青年に対して賢人は「普通であることの勇気が足りていない」と言います。
自分が平凡な、その他大勢の中の一人に過ぎないこと。普通であることを受け入れるには勇気が必要なのです。
「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置く。
それが本当の個性なんです。
誰かを救うことで自分が救われたい
途中、哲人が青年に対して放った一言
あなたは今日、ずっと教育の話をされているが、ほんとうの悩みはそこではない。
あなたはまだ、幸せになれていない。
「幸せになる勇気」を持ちえていない。
そして、あなたが教育者の道を選んだのは、子どもたちを救いたかったからではない。
子どもたちを救うことを通じて、自分が救われたかったのです。
『幸せになる勇気』より引用
他者を救うことによって、自らが救われようとする。
自らを一種の救世主に仕立てることによって、自らの価値を実感しようとする。
これを「メサイヤ・コンプレックス」と言います。
メサイアコンプレックス(英: Messiah complex)とは、キリストコンプレックスまたはメシアコンプレックス、救世主妄想とも呼ばれる。個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態を示す言葉である
。狭義には誇大妄想的な願望を持つ宗教家などに見られる心理状態を指すが、広義には基底にある自尊心の低さを他者を助けることからくる自己有用感で補償する人々をも含める。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
この部分は読んでいて僕自身、ドキッとした部分でした。
対人支援を仕事にしている自分にも全く無いとは言い切れない。
おそらく認めたくないし、自分でも見ないようにしている部分を見抜かれているような感覚でした。
無条件の信頼
自分にはまだ至れない境地だと感じたのは本書の終盤。
哲人が青年に対して、「素顔になれる相手」であり、「たとえ相手が一度や二度の不義理を働いても、それだけを理由に彼との関係と断とうとは思わない相手」を親友とし、青年もそのうちの一人だと語った場面。
自分に対して「無条件の信頼」を寄せていると言ってのける哲人を信用できない青年へ哲人はこう続けます。
信じることは、なんでも鵜呑みにすることではありません。その人の思想信条について、あるいはその人の語る言葉について、疑いの目を向けること。
そのうえで、
たとえその人が嘘を語っていたとしても、嘘をついてしまうその人ごと信じる
続けて、「自分を信じてほしい」「自分の言葉に耳を傾けてほしい」と思うからこそ、「先に相手のことを信じる」と哲人は言います。
「信頼を寄せる」とは、信じてくれそうな相手を自分が信じるのではなく、信じてほしい相手を先に自分が信じる。
と、とても能動的な働きかけなのです。
今の僕にはここまで徹底して能動的に相手へ信頼を寄せることは難しい。
それでも、いつか哲人のような境地でどんな相手にも信頼を寄せて生きていきたいと感じました。
自分を愛していないから、他人を愛せない
汝の隣人を愛せよ
これは聖書で語られる隣人愛を説いた有名な言葉です。
しかし、この言葉には大切な部分が抜け落ちたまま、広まってしまっていると哲人は言います。
本来の言葉は、
「汝の隣人を、汝みずからの如くに愛せよ」
自らをないがしろにして隣人だけを愛するわけではないんです。
まずは自分を愛せていることが前提なんです。そうなると言葉のニュアンスがまた違って感じられから不思議ですよね。
自分を愛していないから、他人を愛せない。
本書の中でこの部分が一番、胸に突き刺さった言葉でした。
長年、恋人が出来ない理由はこれだ!とw
自分を愛せていなかったのだ!とw
心から納得してしまいました。
もう認めざるを得ません、本書の青年同様、僕も自分を愛せていなかったのだと。
本当に人生の劇薬となる一冊だと思える本でした。
最後に哲人から青年へ送られた一言で、今回の記事を終わりとします。
”愛し、自立し、人生を選べ”